2013年12月14日

小さな戦士の2013年


「残念ですが、お嬢さんは目が見えません。」

そう医者に言われたのは、娘が生まれて3日目のこと。その日は、ちょうど私が退院した日。緊急帝王切開の傷が痛くて動くこともままならなかったが、それでもうちに帰れる安心感は大きかった。助産婦さんにあれこれ手ほどきされても娘にちゃんとおっぱいがあげられず、3晩泣かれ通しで一睡も出来ず、身も心もくたくたの状態だったから。帰宅できる安心感と同時に、全身が麻痺したような感覚があったのも覚えている。それは、混乱、否定感、絶望感と、経験したことのないような悲しみが混ざりあった感じだった。

妊娠中のスキャンで異常の可能性は発見されていた。その後、娘の心臓に異常があり、出産後すぐ手術になる可能性もあると告げられた。それでも医者は「よく見られるケースで、手術の成功率は高い」と至って落ち着いていたが、やはりこっちはショックだった。不安なまま時間が経っていく間、とにかく他は異常なく無事に産まれてくれる事だけ願っていた。だから、その上に目の異常を知った時は、全く打ちのめされたような気持ちだった。

娘の両目は角膜が白く濁っているため、雲って見える。ピータース奇形と診断された。家系に関係なく起こるらしく、しかも1万人に2、3人のケースという非常にまれな症状だという。なんて不運なことだと感じた。治す事も、眼鏡で調整する事も不可能。普通の視力を持つ事が出来ない。唯一視力を与えられる可能性は、角膜移植だけであり、しかも赤ちゃんへの角膜移植手術は、拒絶反応のためリスクが高いと言われた。さらに、彼女の目は眼圧が高く、ほおっておくと緑内障になり失明する可能性があるため、眼圧をコントロールする目薬をその日から開始。娘の目の状態を知れば知るほど、説明できないような痛みが全身に走った。そして、これは長い道のりのほんのスタート地点だった。

娘はすぐにマンチャスターにある目の専門病院に行くよう紹介された。初日の検診で、専門医が、娘の目の状態、赤ちゃんの目と脳をつなげる経路がどのように、いつ、発達していくか、手術の内容とリスクなど、いろいろ説明してくれた。年80回位の病院通いと長い道のりになるので覚悟するようにも言われた。ずしんと重みを感じた。皮肉な事に、私は目の不自由な人達を対象とした仕事をし、トレーニングもしているが、この日に聞いた事は無知な事ばかりだった。赤ちゃんの目と脳のつながりの時期など全く知らなかった。脳へのつながりが発達するピークは8〜10週間目だそうで、その時機を逃してから手術をしても効果が低下するそうだ。娘は既に3週間目。時間が迫っている。もし角膜移植手術をするとなれば、赤ちゃんの拒絶反応の可能性は50%以上で、その場合目そのものを失う事もあり得る。しかし、何もしないままでは、少し光が感覚的に分かるだけで、後は一生暗闇での生活となる。私達は、見える世界への可能性を与えるため、リスクを伴う角膜移植手術を希望した。

病院通いは、週1回ないしは2回と頻繁だった。マンチェスターへは車で往復4時間と遠い。高速渋滞を見越して、朝5時6時くらいに出発するのが日常になった。また、帰りは途中で、母乳をあげたり目薬をあげたりするため、高速のサービス、ス―パーの駐車場、時にはどこでも止められる場所を見つけては止まらなくてはならなかったため、一回の予約がほぼ丸一日かかったりした。他にも、心臓の検査や、小児科、目の障害者のサポート講師に会ったりなど、カレンダーは予約でほぼ一杯だった。その合間に、母乳のあげ方をリズムよくするようにしたり(ほとんど不可能だったが)、脳の発達を促進する為に目にできるだけ刺激を与えたりと、一日が休みなく過ぎていった。だから、毎日くたくただったが、やるしかないので、私達はとにかくそうやってきた。まだ小さい娘にとっても、大変な毎日だったに違いない。
移植手術直後。生後11週間目。
マンチェスターの病院に行く度、検査や診断を繰り返しながら、角膜移植手術が実際に行われた時、娘は既に11週間目だった。スキャンで調べて目の構造が整っていて手術の成功率が高い左目だけ行われた。5時間後、大きな眼帯を付けられて、手術室から出て来た娘は、弱々しい声を上げて泣いていた。9時間以上もおっぱいを飲んでいないので、すぐに母乳をあげようと試みても、全身麻酔のせいで上手く吸い付けない。手術の成功を祈りながら、娘を思い切り抱きしめた。手術後の薬はとにかくハードだった。拒絶反応を防ぐ薬を始め、感染症や炎症防止、眼圧をコントロールするもの、目の筋肉をコントロールするものなどなど、6種類の目薬をとにかく一日中あげなくてはならなかった。眼帯を付けたテープを剥がす度に、大泣きされ、目をぎゅっと閉じ、頭を振っていやがるわけで、寝てるときはもちろん起きてしまった。かといえ、強引に開けようとまぶたをさわったり、うっかり指が目に入ってしまうと、移植したばかりの角膜が破裂してしまう可能性もあるので、それはもう注意ハラハラにしていたので、目薬をあげる事が一大事になっていた。拒絶反応を防ぐ目薬は、1時間ごとにあげなくてはならなかったので、とにかく寝る余裕などなかった。それが徐々に間隔が大きくなっていく予定だったが、その前にまた一大事が起きてしまった。

手術から六日後、娘の様子が突然おかしい事に気がついた。母乳をあげても通常以上にいやがり、甲高い声で泣くし、息使いが通常よりも浅かった。最初は心臓のせいかと思った。10分も経たないうちに、様態は一気に悪化し、ものすごい嘔吐と下痢。あわてて救急車を呼んだ。救急車が到着した時には、既に顔色が変わって、もうろうとしていた。病院に運ばれてすぐに抗生物質を投与され、集中治療室へ。最初の48時間、娘は激痛にうなされるように聞いた事のないようなうめき声を上げ、一睡もしなかった。私達はただただ手を握って見守る事しか出来なかった。翌日、血液検査の結果、敗血症だと判明。(敗血症とは、血液の中に細菌が入って体中の臓器に影響を及ぼし、すぐに治療を始めないと死に至る恐ろしい病気です。全国のお母さん、ちょっとでも症状に気づいたら躊躇せず救急車を呼んで下さい!)なんてこった。彼女ばかりがなぜこんな辛い思いをと、本当に悲しくなった。命を救って下さいと懸命に願った。原因は確定できなかったが、おそらく拒絶反応防止の目薬が強いステロイドのため、免疫が著しく低下していたので、抵抗力がなく細菌に勝てなかったのだろう。結局徐々に良くなるまで10日間入院した。医者には、とにかく早く気がついて、すぐに治療を始められたから助かったと言われた。不幸中の幸いとはこういう事か。本当に本当に恐ろしい経験だった。
敗血症で入院。3ヶ月目。
退院後、体調は回復してもすっかり笑顔もなくなってしまった娘。寂しさを感じながら過ごし、10月下旬、今度は右目の手術を行った。医者は失明の可能性を考慮して左目の移植が落ち着くまで、右目は角膜移植はしない意向だった。その代わり、運良く右目の角膜の曇り具合が若干薄くなっているので、角膜が綺麗な部分の下の虹彩を大きく切り取り、ひとみを拡大する手術が行われた。 左目に遅れをとっているものの、できるだけ光が入るようにし、脳を刺激する為だ。(目の仕組みはこのサイトで良く分かります)手術は成功したが、両目とも定期的に検診していかなければいけないし、特に左目は拒絶反応防止の薬の投与がこの先も続いていく。まだまだ通院生活が続く。

私にとってみれば、一日一日なんとか生き延びたという感じだった。最初の頃は、涙が突然あふれては止まらなかったし、母乳指導のクラスでお母さんの目を見て笑う赤ちゃんとお母さん達を見るのが非常に辛かったし、普通に子育てを楽しむという気持ちにはなれなかった。しかし、そんなのは全て時間とともに消えていった。ここまでやってこれた。娘は現在5ヶ月半。両目とも術後の経過は順調で、しかも嬉しい事に少しずつ目が見え始めたようなのだ。そして、今では彼女の作り出すいろんな音や笑顔が、困難な立場であっても子育てを楽しんでいけるものだと気づかせてくれた。これからも、娘は大変な毎日を送らなければならないし、平均より成長は遅れているし、心臓の手術もこれからまだ行われる。それでも、小さな戦士は私達の心に太陽の光を与えてくれる。それは彼女が生まれた日から一度も変わっていない。
現在5ヶ月半。笑顔の戻った娘、頑張ってます。
ここまで、長い文章を読んでいただいてありがとうございます。最初ブログに公に書くものか戸惑いましたが、みなさんに伝えてもいいことではないかと思えるようになりました。また、似たような経験のある方、アドバイスをしていただける方は、ぜひコメント下さい。または、ただ良い2014年を願って下さい!ローラーコースターのような年を終え、新年が楽しみです!

皆さんもよいお年を迎えて下さいね。xま

8 件のコメント:

  1. 胸がいっぱいになりながら読ませていただきました。
    たくさんの、とてつもない大変なことを乗り越え、
    こうして笑顔を見せてくれるサブリナちゃん。本当に、あなたは小さな、そして無敵の戦士です。
    まきさん、サブリナちゃんのファンとして、ブログを通して見守っています。
    よいお年をお迎えくださいね。

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    1. sonokoさん、メッセージありがとうございます。サブリナもサラちゃんのように、元気で優しい女の子になってくれるといいなあと願いながら、これからも頑張って子育てしていきたいと思います。sonokoさんたちも良いお年をお迎え下さい。

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  2. ぶんしょうb 最後まで読み終えて やっと少し私の気分も落ち着きました。光明が見えたようでほんとによかったですね。

    それにしてもmakikoさんたちがこんなに苦しんでおられた時に私たちはずうずうしくお邪魔してしまいほんとに申し訳なかったと反省しております。

    素晴らしい病院スタッフに恵まれておられるようなのでひとまず安心しておりますが 本人にとってもご両親にとってもまだまだ大変な時期が続くことでしょう。どうかあなた自身も、そしてご主人もご自愛され看病続けてください。何もできませんがサブリナちゃんにお母さんの顔がはっきり見えるようになることを心から願っております。

    来年はどんどん楽しいことがご家族に訪れるよう願っております。
    来年もPOTFESTへ参加しますので お邪魔にならなければお見舞いに立ち寄りたいと思います。

    ほんとに良い年をお迎えください。

    冬柴薫、文廣

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    1. 冬柴様、暖かいメッセージありがとうございます。夏のことは心配なさらないで下さい。私達もお会いできて嬉しかったし、人に遊びに来ていただけると気分転換になるものです。残念ですが私の方は今年もまだPOTFESTへの参加は見送りとなってしまいましたが、ぜひ顔は出したいなと思ってます。また遊びにもいらして下さいね。

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  3. まろちゃん よしこだよ♪    

    さぶりなちゃん まろちゃんの笑った顔にそっくりだ(^-^)  

    わたしも病気をわずらっていて悔しい思いをすることあるけど、

    いつも入院中のベッドの上で思ってたことは、

     「この病気になるのが 私でよかった。わたしのまわりの家族や友達がこの病気にならなくてよかった。こんなつらい思いをするのが まわりじゃなく 私でよかった!」

    ってことなんだ♪

    さぶりなちゃんの幸せ わたしもいっぱい願ってるよ!  

    寒いから まろちゃんも風邪ひかないように。

    おかあさんは体力つけないとね♪

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    1. よしこ久しぶり。カード届いたかな?メッセージありがとう。具合悪いの?心配だなあ。今、2人とも風邪引いてて残念なクリスマスになりそうだよ。早く元気にならなくちゃね。お母さんは体力付けないと面倒みれないからって本当に身にしみて分かります。よしこの回復を祈ってます。元気になりますように。

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    2. ハルシオンデイズ2013/12/31 6:20

      御縁があってブログを拝見しました。
      どんな言葉も足りな過ぎてまる一日経ってしまいました。

      子供は親を選べないと耳にすることがありますが、赤ちゃんはしっかりとお母さんを選んで生まれてくると思っています。
      サブリナちゃん、選ばれたmakikoさんそしてあなたが選んだあなたのお母さんに、笑顔でいっぱいの安らかな新年が待っていますように、心からお祈りします。

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    3. ハルシオンデイズさん、嬉しいコメントありがとうございます。娘の為に私も笑顔を絶やさないような新年にしていきたいと思います。ハルシオンデイズさんも良いお年をお迎え下さい。

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