2012年6月20日

南三陸町へ届ける希望の光

朝日の美しい南三陸町の海岸
このブログを見ていただいている方々の中には、昨年行ったHELP JAPAN PROJECT を覚えている方もいると思います。イギリスを拠点にブログのネットワークを利用して行った東北復興義援金募金活動です。まだまだ復興までの道のりは長く、始まったばかりだというの事実を、ニュースも聞かなくなった今だからこそ、世界中の多くの人達に知ってもらいたい。そして支援の輪を広げたい。そんな思いで、この夏もまた募金活動、HELP JAPAN PROJECT 2 を開始します。
実はこの8月、ボランティア活動に参加をしに、南三陸町を訪れます。その際に義援金を届ける試みです。今日は、その南三陸町について少し書きたいと思います。こちらイギリスでは漠然としかそれぞれの被災地が映されないので、この町のことをあえてブログ(英語版)に載せましたが、 日本では既に沢山の方々がニュース等で南三陸町を見ていると思います。それでも、こんな素敵な風景だったのかとか、町の人達の意気込みの素晴らしさを、少しでも多くの方々に伝えるお手伝いをさせていただく気持ちで、日本語版も書きたいと思います。
なぜ南三陸町を選択したのか?
昨年の活動では、日本赤十字に募金させていただきましたが、なかなか義援金が地域に届かなかったのも事実でしたよね。そのニュースを聞いて、かなりがっかりしたと同時に、被害の規模の大きさに、自分の出来る事のあまりの小ささを痛感しました。だからこそ、今度義援金を届けるなら、一つでもいいからどこかの被災地に直接届けたいと思ったのです。私は昨年の9月に南三陸町を訪れ(こちらの記事)、想像を遥かに超えるダメージの大きさを目前にし、また津波を逃れた地元の方のお話を聞きました。日に焼けた元漁師さんが、失ったお家の敷地内で、「海の見えないところに住むなんて考えられない」と涙目で言ったのが、忘れられません。それ以来、沢山のサイトを通じて南三陸町の人達が今どうやって生活しているか探し続けてきました。そして、どれを見ても感じた事が、町の人達のたくましさ、前向きな行動、そして子供達の笑顔。豊かな自然と文化に囲まれた町のほぼ全てを失った状況下で、ゼロから再出発する人達。出来る事を少しずつ、悲しみを乗り越えるかのように、一生懸命に前を向こうとする人達。町の再建の為に、そしてそれを励ますかのような子供達。明日へ、次の世代へ、繋げて行こうとする南三陸町の皆さんを少しでも支援したい。そう思ったからです。私の出来る事は小さくても、意味のある事と信じて。今年も頑張ります。
北ヨークシャーから 南三陸町へ
続けます・広めます・届けます
希望の光
それが HELP JAPAN PROJECT 2です。


最後に、南三陸町フリーペーパー1号に載せられたメッセージの一部を紹介したいと思います。

「まちの記憶 心に焼きつけて」


・・・私たちは、大自然のおそろしさとありがたさを知っている。
だから、生かされている身の謙虚さを忘れることはない。
先祖代々、そうしてきたように
どんな時にもあきらめることなく
明日を信じ続けよう。
自然とともに生きていこう。
手に手を取り合って 力を合わせれば
どんなことでも実現できると信じよう。
今を懸命に生きれば生きるほど記憶は美しい輝きを増すものだ。
豊かな山がゆっくりと 海の恵を育むように
幸せなみんなの町は きっといつか再生する。
どんな試練があったとしても 海のように大きな心を持とう。
この町を訪れる人たちとつながって 新しい力を取り込もう。
潮は満ち、潮は引き、今日も海を見ながら
私達はこの町で生きている。
里海に生きる誇りを しっかりと心に抱きながら。

イメージは以下から参照させて頂きました。

次回はいよいよ HELP JAPAN PROJECT 2オンラインの開始です。
皆さん、ぜひご協力ご支援よろしくお願いします。xま

4 件のコメント:

  1. まきさん
    いよいよ開始ですね。
    今、国内では、被災地の方々の様子が紹介されることはあまりなく、原発の稼働をどうするかということのほうに関心が向けられているように感じます。
    まきさんのように、被災地に目をむけることの大切さをあらためて感じました。日本人同士、もっともっと助け合っていかなければいけませんね。
    応援しています。本当にささやかな支援ですが、私のブログでも紹介させていただきたいと思います。
    そのこ

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  2. そのこさん こんにちは。大飯原発再稼働にあたっての議論も、こちらのニュースでは映りませんが、インッターネットでのニュースでちょくちょく見てきました。先日の福島の女性のDie-inはフェイスブックでもシェアしました。聞いていて胸が痛くなります。日本の国民をいったい誰が支えているのか、政府の無関心さに腹が立ちます。私の主人は、発電所のエンジニアなので(原発ではありませんが)内容もよく話し合い、福島の現状の怖さがますます気になりますよ。
    今回の私の活動は、日本の原発再稼働の話が大きくなる前、昨年9月に南三陸町に訪れた際に既に決心していたことなので、あえて被災地の支援を中心にさせていただきました。ある意味、忘れられかけているからこそ、また支援を広める必要性もあると私は思っています。ご協力していただけると幸いです。よろしくお願い致します。

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  3. その場限りでなく、末永い支援は被災者にとって大きな支えになると思います。

    また大きな機関を使っても届かない義援金の件は、
    私も心が重かったです。
    MAKIさんが個人的に南三陸への義援金の寄付を決めたことは、
    手から手へ、気持ちと支援を送れると思います。

    益子にも世界中から陶芸家や陶芸愛好家の方々からの募金が集まりました。それによりMPF(Mashiko Pottery Fand)のNPOが設立されましたが、その支援が届けられるのは益子町在住の陶芸家・陶芸関係者だけでした。町外・県外の陶芸家たちの手には届けられませんでした。
    MPFの設立の切っかっけを作ったユアンのブログやユアンでしたが、
    群馬県に引っ越したので、例外にもれずうちもそうでした・・・。

    でも知り合いの方や色々な方が、それを知り、個人的に私たちに義援金を送ってくださり、ここまでの再建や生活に役立たせていただきました。

    小さな支援であっても、とても励まされ支えになりました。
    MAKIさんの活動の意義の大きさは実感して理解しています。

    ぜひ私のブログやFacebookで紹介させていただきたいと思います。

    ご成功をお祈りします。

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  4. Mikaさん、メッセージありがとうございました。
    どこに寄付するかは、いろいろ迷いました。未熟な私が作品を売ることによって集まる募金は一握りでしかないし、被害が大きな地域は山ほどあるし、ならば、一つでも小さな町に直接お届けしたいと考えた際、現地の人達が頑張っている姿は、他の地域でも見られます。今回、南三陸町への寄付を決めたことは、やや個人的でしたが、昨年訪れて、自分の目で大きな被害を見てきた土地の人達に届けたいと思いました。益子の募金に関しては、聞きましたが、やはり関わったユアンさんには残念な結果ですね。それでもご家族みなさん、今の状況まで、進んでこられて素晴らしいと思います。
    私に出来る事は小さいですが、長い目で見た支援を続けたいと思っています。

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